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試製中戦車 チニ[しせいちゅうせんしゃ ちに]
試製中戦車 チニ(しせいちゅうせんしゃ チニ)とは1937年に試作された大日本帝国陸軍の中戦車である。 == 概要 == 1936年(昭和11年)、八九式中戦車を代替するための新型中戦車の試案がまとめられ、第一案と第二案が提示された。第一案は全体的な性能の改善を企図し、武装の向上、装甲の増強、37mm級対戦車砲への近距離での耐弾性能、速度増加を要目とした。それに対し、第二案は重量の逓減、武装及び超壕能力を低下させず、37mm級対戦車砲への中距離での耐弾性能、小型化と乗員削減を要目とした。当時のインフラストラクチャー面の問題から重量の逓減を最大の懸案と見る参謀本部と陸軍省などは第一案の13.5tでは重量過大とし、最大でも12t程度への軽量化を要請したが、不可能との陸軍技術本部の回答があったため、性能差は安価に大量配備することで補うとして第二案の支持に傾いた。ただし、参謀本部は性能の優る第一案に未練があり、出来得れば第一案も同時に試作研究して欲しいとしている。一方、実際に搭乗運用することになる戦車学校を初めとした部隊側は、第二案の速度性能は許容可能だが一人用砲塔では戦闘時の戦力発揮に問題があるとして二人用砲塔、かつ重装甲の第一案を強力に支持した。〔「陸軍軍需審議会に於いて審議の件」〕。 意見はまとまらず、第一案がチハ車、第二案がチニ車として試作されることとなった。この定見の揺れは開発側を混乱させ、当時、決して十分とは言えなかった国内の開発能力で、同一の使途で構想の異なる戦車を試作する事は資材と費用の無駄ともなった。 1937年(昭和12年)7月7日に発生した日中戦争によって、現場部隊側の意見が大勢を占め、第一案のチハ車が九七式中戦車になった。チニ車の量産は放棄された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「試製中戦車 チニ」の詳細全文を読む
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